定期戦 試合結果
明治大 | 慶應義塾大 | ||||||
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0 | 0 | - | 33 | 60 | |||
0 | 27 |
T | G | PG | DG | T | G | PG | DG | |
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0 | 0 | 0 | 0 | 前 | 7 | 4 | 0 | 1 |
0 | 0 | 0 | 0 | 後 | 7 | 3 | 0 | 0 |
0 | 0 | 0 | 0 | 計 | 14 | 7 | 0 | 1 |
T:トライ G:ゴール PG:ペナルティゴール DG:ドロップゴール
日付 | 1923/12/18 |
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Kick off | 14:00 |
試合会場 | 三田綱町球場 |
レフリー | 増田鉱太郎 |
アシスタントレフリー |
※T=3点、G=2点、PG=3点、DG=4点
【創部初の対戦相手は慶應義塾】
同好グループ時代からの練習と、夏合宿まで行い、いよいよ初試合ということになった。先輩校のいずれを選んで相手をしてもらっても大敗は目にみえている。
そこで主将の能美は、日本チームには不敗の創始校慶應義塾に、望むべくはベストメンバーでと対戦をお願いした。記念すべき明治大学ラグビー部の初試合は、大正12年12月18日に三田綱町球場で行われた。
ゲームは慶應のキック・オフで開始されたが、当時としては0-60という新記録のスコアで大敗した。
試合翌日の朝日新聞に岡本隆氏の観戦記が次のように掲載されていた。
〈初陣の明大散る〉
今夏奈良に慶應の大市、木下両氏の指導で猛烈な合宿練習をした明大チームは、この試合を皮切りに、東都球界に打って出た。展開性のない明大は押すことのみにとらわれ、駿足と敏捷さを誇る慶應に、無人の境を行くがごとく活躍をなさしめた。蹴球界創って以来の60-0というレコードで慶應の大勝となった。
しかし頑強な体力と不屈な元気に充ちた明大は、この長所を利用して科学的な研究をすれば、将来恐るべきものである。
記事の段階で、後の明治ラグビーを予測したような批評だった。力とスピードをモットーとする明治の伝統の片鱗は、この最初のゲームにうかがえたともいえる。
試合後のミーティングでは、慶應側からビールをご馳走になり、まるで弟をいたわるような慶應メンバーの態度に、得点差など忘れて感銘したと試合にかけつけた応援団長の相馬基氏が後年回顧していた。
明治大
リザーブ | T | G | P | D | 交代 |
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背番号 | ポジション | 名前 | 交代 |
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1 | PR | 中村 米次郎() | |
2 | HO | 鈴木 増雄() | |
3 | PR | 門倉 恒雄() | |
4 | LO | 益田 弘() | |
5 | LO | 上田 雅久() | |
6 | FL | 山脇 信男() | |
7 | FL | 原槙 慎二() | |
8 | No8 | 宮地 秀雄() | |
9 | SH | 萩原 丈夫() | |
10 | SO | 陳 啓琛() | |
11 | WTB | 高野 四万治() | |
12 | CTB | 山口 六助() | |
13 | CTB | 大市 信吉() | |
14 | WTB | 葉 鴻麟() | |
15 | FB | 富沢 慎三() |